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木之本簡易裁判所 昭和43年(ろ)1号 判決

被告人 鷦鷯全守

主文

被告人は無罪

理由

本件の公訴事実は

被告人は法定の除外事由がないのに、昭和四三年四月八日午後二時一五分ころ岐阜県郡上郡美並村木尾地先国道一五六号線(岐阜高岡線)道路において軽四輪乗用自動車を運転して道路の右側部分を通行したものである。

というのである。

よつて検討するに

一、被告人が昭和四三年四月八日午後二時一五分ころ岐阜県郡上郡美並村木尾地先の道路を軽四輪乗用自動車を運転して南より北に向つて進行したこと、右道路は国道一五六号線(岐阜高岡線)で、その巾員が七米乃至八米あり舗装され中央に白線をもつていわゆるセンターラインが標示され、平坦にして且つ同所附近は直線で見透しのよい場所であることは被告人の供述並に本件を検挙した警察官である証人狩野勝の証言及び証人長尾昭典の証言によりこれを認めることができる。

二、ところで証人狩野勝の証言は、当日前記道路を美濃市方面より郡上方向に向つて機動取締中美並村大字木尾地先に差し蒐つたところ、前方約五〇米に定期バスが時速約六〇キロで同方向に進行し、その後方約一〇米に被告人運転の軽四輪乗用自動車が追従しているのを認めたが、木尾バス停留所の手前約三〇米附近で右軽四輪自動車は、道路右側に出て先行バスを追い越そうとしている状況であつたので、若しバスを追い越すことになれば速度違反になるから白バイでその後方を追跡したところ、被告人の軽四輪自動車はバスを追い越さず右側道路をこれと並進して、その前方に在る郡上レストラン附近まで約二〇〇米の間走行したのを現認したので、右側通行違反として検挙したものであり、検挙当時被告人はこの事実を認め異議はなかつたというのである。

三、これに対し被告人は当時先行のバスは右木尾駅前の停留所に近着くと速度を少し緩めたため五五キロ位の速度で十分これを追い越すことができると思つたので、右バスを追い越すため道路の右側前方を見透したところ対向車両はなく交通を妨げる危険がなかつたので、右側車線に出て、バスと並進し郡上レストランの手前でまさに追い越そうとした際、後方より追跡の白バイに停止を命ぜられたので、バスの前方に出て道路左側傍らに停車したが、停止を命ぜられた理由が判らなかつた、その時警察官は速度違反ではない、一七〇米余右側車線を走つたので、右側通行違反だとのことであつた、自分としては、バスを追い越そうとしたもので、このような場合右側通行は許されるのではないかと問い質したところ、警察官は追い越しのため一〇〇米までなら右側通行は大目に見るが、一七〇米余も走つては違反だといわれたが、果してそんなことになるものか納得できなかつたが、行先の時間の予定もあり、またそういう規則であるなら仕方がないと思い、いわれるまゝに警察官の示された違反カードに署名した。

しかしその後調べてみると、滋賀県警察本部交通第一課及び滋賀県交通安全協会発行にかゝる「滋賀の交通」の参考資料編に車両が追い越しに必要な距離として、前車の速度が五〇キロで後車の速度が六〇キロの場合、その必要距離は二七七米となつていることが判つた、自分はその時右側車線を走つた距離は一三〇米位と思つていたがその後同所を通り確めて見ると実際右側車線を走つた距離は二〇〇米近くに及んだものと思うが前記資料等から考え自分の右運転行為は右側通行違反とはならないというのである。

四、次に右バスを運転していたという証人長尾昭典は、自分は岐阜乗合自動車株式会社郡上八幡営業所所属の運転者として勤務し、岐阜、高岡線(国道一五六号線)を新岐阜、郡上白鳥間運行の定期バスの運転に従事しているが、昭和四三年四月八日午後一時新岐阜発郡上白鳥行バスを運転し、同日午後二時一〇分ごろ岐阜県郡上郡美並村大字木尾の木尾駅前停留所手前に差し蒐かつたので、速度を少し落したが、乗降客がなかつたのでそのまゝ停車せずに通過し、速度をもとに戻し少し進行したところに在る郡上レストラン附近を進んでいたと思うころ、後方右側より追い越して来た軽四輪車があり恰度自分のバスを追い越した途端にその後方より白バイが追跡して来て、右軽四輪車に停止を命じたのであるが、その時は既に軽四輪車はバスの前方一五米位に出ていたのを警察官は道路左側に誘導したのを認めた。

自分は平素特に乗降客で混雑するとか、その他の事情で、時刻が遅れたときにはその遅れを取戻すため法定の六〇キロにまで速度を上げて走行することがあるけれども普通は四五キロ乃至五〇キロで運転している、当日は他にそのような思い当る事情はなかつたし、右場所は直線で見透しもよいので五〇キロ余りで走つていたと思う旨証言するのである。

五、そこで右証人狩野証言と被告人の供述並に証人長尾証言を対比して考察すると先ず被告人が右側通行したという位置につき、証人狩野、同長尾の各証言と被告人の供述とを総合すると前記美並村大字木尾地先の木尾駅前バス停留所附近より、その北方の郡上レストラン附近であつたことが認められる、そしてその間の距離は、証人狩野証言並に被告人の供述によると凡そ二〇〇米前後であることを認めることができるのである。

次に証人長尾は当時の状況として、木尾駅前停留所の手前で速度を少し落したが乗降客がなかつたので、そのまゝ通過し、速度を五〇キロ余りに戻し運転していたところ、軽四輪車が右側後方より追い越して来て、まさに追い越したと思う途端、白バイが追跡して来て、その軽四輪車に停止を命じたが、そのとき軽四輪車はバスの前方一五米位に出ており、道路左側に避譲して停車した旨証言するところであり、この点はバス並に軽四輪車の各速度につき多少相違があるように思われるが被告人の供述にほゞ吻合するのである、従つて被告人は先行のバスを追い越そうとしてまさに追い越しを完了しようとした際検挙されたものといわなければならない、そして当時反対方向からの車両等がなく交通を妨げるような危険のなかつたことは証人狩野の証言によりこれを認めることができる、証人狩野は先行のバスの速度が当時約六〇キロであつたのに、被告人の軽四輪車は同速度で約二〇〇米の間並進した旨明確に証言するのであるが、この点についての同証言は証人長尾証言及び被告人の供述を照し合せると狩野証言には推測的な事実があるように感ぜられその信憑性に疑問を抱かせるのである。

六、道路交通法第一七条第四項に車両が追い越しについて、左側通行の原則に対する除外事由としてその第四号に「当該道路の左側部分の巾員が六メートルに満たない道路において、他の車両を追い越そうとするとき(当該道路の右側部分を見とおすことができかつ反対の方向からの交通を妨げるおそれがない場合に限る)」と規定されている。

これを本件に見るに、右道路は左側部分の巾員が六メートルに満たない道路であること、また直線道路で見透しよく反対方向からの交通を妨げるおそれのなかつたことは前記認定のとおりであり、証人長尾証言はバスを五〇キロ余の速度で運転していたというのであるから、これを被告人の軽四輪車が追い越しに出たとしても、被告人が主張する如く、五〇キロで先行するバスを六〇キロの速度で追い越すに必要な距離は前後の車間距離等考慮すると、その方法や、その時の状況により多少の差異はあるとしても、凡そ二〇〇米前後の距離を要することは、計算上首肯できるところであるから当時被告人の軽四輪車は速度約六〇キロで追い越したものと認められるがそのため、その際被告人の右側通行距離が、たとえ二〇〇米に及んだものであつたとしてもそのことをもつて直ちに前記の除外事由に該当しないと解することはできない。

もし本件を検察官主張の如く道路交通法第一七条第三項の右側通行違反行為というには、その証拠とする被告人の供述書は当時警察官に違反事実を承認して署名した如くであるが、前記事情により、その内容は真実性に疑いあり、証人狩野証言及び同証人作成の道路交通法違反現認報告書も、その内容については前記のとおり信憑性に疑問があるのでこれらをもつては右違反事実を認め難い。

七、それ故結局本件は、罪とならないか、または犯罪の証明がないものであり、刑事訴訟法第三三六条に従い、被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 村島由太郎)

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